明けましておめでとうございます。昨年に引き続き2019年も新たな挑戦を続けていきます。みんなでワクワクした一年にしていきたいね。改めて宜しくお願いします。さて、新しい年を迎えるにあたり、HPを新設しました。というのも、僕は現在3つの事業を運営しているので、それぞれの事業をわかりやすくしたかったから。その拠点となる会社を山形県南陽市に昨年6月にオープンした、『NANYO BASE』 という建物に事務所を設置して事業を行なっています。
僕のこと
はじめての方もいると思うので、改めて自己紹介をします。空飛ぶ車椅子社長こと加藤健一です。空飛ぶ車椅子社長と言っても、飛行機で世界中を飛び回っている訳ではありません。では、なぜ空飛ぶ車椅子社長なのか?
ご存知の方も多いかもしれませんが、そう、こちらパラグライダー専用の車椅子に乗って自由に大空を飛んでいるから。
フォーーーーーーーーーーーーーーーー!!!最高でしょ?この景色。この僕が飛ぶ姿を見て友人の短パン社長こと奥ノ谷圭祐さんが名付けてくれました。笑
昨年は、あの日本一熱い漢。松岡修造さんが南陽市に訪れて、そして僕と対談!!その対談の様子はテレビ朝日の報道ステーションにて放送され全国から大きな反響をいただきました。
そして、短パン社長がブログで出会いから熱く熱く紹介してくれました。短パン社長の愛がハンパない。いつも、ありがとうございます。
フォーーーーーーーーーーーーーーーー!!まさか、車椅子で空を飛ぶなんて誰も想像していなかった。不可能だと思っていたことが、可能になった瞬間。嬉しさと自分を超えられた気がして、心からの叫びが込み上げてくるんです。正直ぶっ飛んでると自分でも思います。でも、どうしてもやりたかった。それはなぜか?
人生で初めて経験した挫折
21歳の時、突然筋ジストロフィーという難病を発病しました。筋ジストロフィーとは手や足だけではなく、体幹や心臓などの内臓。全身の筋肉が次第に衰えていく現在効果的な治療法がない、進行性の恐ろしい病気です。小さい頃からの夢「自動車会社の社長になる」という夢も諦めなければならない状況になりました。この時、人生で初めての挫折を味わいました。夢半ばで宣告された病気によって日常生活は180度変わりました。そして、将来への不安。込み上げてくる悔しさから、入院していた病室で夜になると涙が溢れてきました。
それから、約1年間の山形と東京の病院での入院生活。退院してから約1年間懸命にリハビリを繰り返し、どうしても諦めきれなかった大好きだった車の仕事に復帰することができました。復帰から1年後。病気の進行から仕事を続けることが難しくなり車の仕事から離れることに。いつか、治療法が確立し病気は治せる。今でもそう願っています。
車椅子生活になり様々な場面でバリアを感じてきました。外出すること、働くこと、社会に関わること。我慢することが当たり前になり、そして諦めることが当たり前に。健常者の時にはとても想像できなかった。そしていつしか、外に出ることさえ臆病になり弱気になりひきこもりがちに。そんな時に親友から「お前が病気になっても俺たちの関係は変わらない。俺たちはお前と共に闘う」この言葉に救われました。
一番のバリアは自分の心の中にある
僕は、障害を理由に自分の中でバリアを作っていたのだと気づくことができました。介助なしでは生活することができない。こんな自分に何ができるのか?自分自身と向き合う中で、このまま身体が動かなくなるのをただ、待つのではなく、今動けるうちに自分にできることを一生懸命やりたい。当事者のひとりとして、障害の有無に関わらず、誰もが様々なことにチャレンジできる社会を作りたい。そんな熱い思いがこの活動を始める原点です。
挑戦を続け行動する勇気
”障害者だからできない”という固定観念を打ち破るために始めたのは”空を飛ぶこと。”2015年に筋ジストロフィー患者として世界初となる、車椅子によるパラグライダーのフライトに挑戦し見事成功。2016年、日本初となるバリアフリースカイエリアの環境を整備し、全国各地から「空飛ぶ夢を叶えたい」と地元南陽市に沢山の人が訪れるようになりました。
車いすで空を飛んでみると様々な気づきがあります。空は健常者も障害者も関係なく、だれもが自由に空を飛ぶことができる。
一方で地上に戻ると、まだまだバリアを感じる場面がたくさんあります。環境のバリア、情報のバリア、そして意識のバリア。しかし現在は、障害者差別解消法や障害者雇用促進法などが整備され、少なくとも制度上では、障害者でも自ら仕事を選び、チャレンジすることができる社会に変わりつつあります。だからこそ、障害があっても様々なことにチャレンジすることは重要です。社会にサポートされるだけでなく、自分の能力を発揮し社会の担い手として関わること。
ひとりのハートが世界を変えられる。
また、誰もが得意なこと、不得意なことはあるように、其々ができることは違うという意味では、健常者も障害者も変わりません。誰もが自らやりたいことを見つける。チャンスを掴み、それにチャレンジし、一人ひとりが行動することで社会や世界が少しずつ変わっていくと僕は信じています。
『ひとりのハートが世界を変えられる』誰もが住みよい社会を目指し、こうした社会の実現に向けてこれからも挑戦を続けていきます。