6月1日発行の旬刊旅行新聞に一面で大きく掲載いただきました。取材をいただき僕の思いが全て込められている素晴らしい記事に仕上げていただきました。記者の平錦さんありがとうございます。
写真の新聞では読みにくいので、新聞の原文を以下に掲載します。
空飛ぶ車イス社長と呼ばれる加藤健一(=山形バリアフリー観光ツアーセンター代表理事)氏は日本で唯一、車イスでのバリアフリー飛行体験を受け入れている。加藤代表は21歳のときに難病の筋ジストロフィーが発病。32歳には完全に車イス生活となった。それでも前へ進み、「ひとりのハートが世界を変えられる」を理念に掲げ、だれもが楽しめるバリアフリー観光に取り組んでいる。県内外から参加者が訪れ、体験を通じ成長している。自らが挑戦し、新たな道をひらく姿が、障害者、健常者問わず多くの人々に影響を与えている。
筋ジストロフィーは進行性の難病だ。今日できていたことが、明日できなくなる日が来るかもしれない。21歳で発病してから10年間ほどは、前に進めなかった。加藤代表は「日々何かができなくなる苦しみから、将来の不安にさいなまれていた」と振り返る。
それでも前を向いた。2015年10月、考えられもしなかった車イスでのパラグライダータンデム(2人乗り)飛行を成功させたのは、加藤代表自身だった。
「できないと嘆いていてもいつまでたってもできないまま。努力して物事を成したときの喜びは生きる原動力になるし、いろいろなアイデアにもつながる。これは僕たちの活動に生きているし、僕の強み。乗り越えてきたからこそ、今がある」。
16年4月に同センターを設立し、車イスでのパラグライダー体験飛行の受け入れを始めた。場所は山形県南陽市にある南陽スカイパーク。車イスでのパラグライダー体験飛行を受け入れる日本唯一のフライトエリアだ。
この取り組みも初めは見向きもされなかった。「気持ちは分かるが、実際に受け入れるのは大変」「そんなこと誰がやるんだ」――。イベントを開いても、1人も来ない時期もあった。「障害者側も地上でさまざまなバリアを感じていて、空を飛ぶなんて夢のまた夢だと思っていた。だからこそ挑戦しようと決めた」。
加藤代表は取り組みを続けた。こつこつと想いを伝えた。課題となる飛行方法や受入対応、保険、健康状態の確認など、一つひとつ潰していった。徐々に賛同者が増え、構想から1年ほどで実現に至った。
「たった5分ほどのフライトで世界が、人生が変わる。この経験から普段の生活が変わることがある。だからこそバリアフリー観光はとても意義がある。非日常を味わえる旅での経験は、人が変わるきっかけになる」。
今では全国から体験したいと参加者が詰めかける。香川県在住の小林さん夫婦の長女(19才)もその一人。ジストニアという病気を抱え歩行障害があり、車イスで生活している。
夫妻は取材に対し、「そのころは地元の遊園地にいくと、以前に乗れていた遊具の多くが(病の進行で)、乗れなくなっていた。この現実に親子でがっかりしていた」と当時を振り返る。
加藤代表の事業はテレビやSNS(交流サイト)を通じて知った。「これならうちの子でも飛ばせてもらえるのではないか」。自宅から山形まで車を走らせた。娘さんは、車イスでのパラグライダー体験飛行を見事に成功させた。
「実際にやってみて楽しかったそうです。そのあとも、面白かった出来事を自分から話してくれることが増えました。また飛びたいと、自分の収入からパラグライダー貯金を始めています。そして何より加藤さんにまた会いたいようです」。
一方、国内でバリフリー観光を推進する動きがあるものの、道半ばだ。
現行のバリアフリー観光は、バリアフリー設備が整った施設を中心にした企画が多い。「それは本来行きたい場所ではないかもしれない。バリアフリーではなくても、美味しいものが食べられる場所や、面白そうな場所は行ってみたい。本音は、みんなが楽しんでやっていることを、同じように体験してみたいということ」。
加藤代表は続けて「これまでの考え方を捨ててほしい。バリアフリーツアーだから、健常者と異なるコースを組むのではない。同じように回るために何ができるのかを突き詰めてほしい。とくにバリアフリーの専門的な知識を持つ障害者からの意見をより取り入れる必要がある。これまでとまるっきり違ったものができるはず」と指摘した。
加藤代表はバリアフリー観光推進事業を含む3つの事業の代表を務めている。「障害の有無にかかわらずだれもが住みよい社会」「当たり前が当たり前にできる社会」を実現するための手段に、3つの事業があるという。それぞれ切り口は異なるが、目指す先は同じだ。
バリアフリーへの理解を進める「外出促進事業」として、14年にGratitudeを立ち上げた。このなかで、公共施設や店舗駐車場に、障害者等用駐車区間を施工する「ブルーペイント大作戦」を行っている。
これまでは主に行政主導で施工していた。これを地域の人や子供、高齢者、障害者が参加するイベントにした。
地域内で垣根を越えて交流が生まれる。子供達に取り組みの意味を伝えることで、幼いころから理解を深められる。
「今の日本に求められているのはハード面だけでなく、ソフト面の充実。諸外国と比べてとても遅れている。だからこそ『心のバリアフリー』の推進が大事になる。バリアフリー設備が整っていても、ソフト面が伴わなければ真のバリアフリーではない」。
例えば、障害者を見かけ声を掛けるときに「大丈夫ですか」と、言っていることはないだろうか。「大丈夫ですか」では、相手に負担となっていることもあるという。
「大丈夫ではなくても、『大丈夫ですか』と声を掛けられれば大丈夫ですと答えてしまう。『なにかお手伝いしましょうか』と、答えやすい質問に変えるだけで違う。こんなことから互いを理解することにつながる」。
3つ目は「就労継続支援事業」。定職を持ち、安定的な収入がある障害者はまだまだ少ない。 株式会社夢源(むげん)を立ち上げ、比較的に簡易な作業で働ける就労継続支援B型として「LUNA」を設立した。加藤代表の夢だった自動車整備業を軸にしている。
加藤代表は「障害者だから料金を割り引くといった考えはもう古い。普通料金を支払い、健常者と同じ対価のサービスなどを受けられる社会にすべき。なのでまず、収入を得るための働く環境を整えたい」と強調した。
加藤代表とはテーブル越しに話を聞かせてもらった。話の強弱とともに両手を動かし、仕草でも大事なポイントを強調していた。自然なボディランゲージだった。しかし実際は、胸より上に腕は上がらず、テーブルの端に腕を乗せて、テコの原理で動かしていた。
「(病で)確かに失ったものは多い。ただ、残っている機能でできないことを可能にするにはどうすればいいのか、常に考えている。だから空だって飛ぶことができた。僕は今たくさんの夢を叶えている」。
今年4月、加藤代表はまたひとつ夢を叶えた。
車イスに乗りながら一人で空を飛んだ。筋ジストロフィー患者が車イスで、パラグライダー単独飛行を成功させたのは世界で初めてという。「ライト兄弟になった気分だった」と笑顔で語る。
これまで飛行中のブレーキなどをするための「引く」という動作が、病による筋力低下によりできなかった。
代わりに新たな仕組みを用いた。飛行機を飛ばしている技術と同じ「フライ・バイ・ワイヤー」という仕組みをパラグライダーに、これも世界で初めて導入した。
ラジコンの操作盤のようなものを膝の上に置き、ボタンでワイヤーを動かして空を旋回する。試行錯誤を繰り返し、2年ほどかけてソアリングシステムパラグライダースクールが装置を完成させた。
「失敗すれば大惨事だったが、ただ無茶をしているだけではない。成功することで、新たな道が生まれる。同じ病気やほかの障害を持つ人々の希望、道しるべになる」と想いを吐露した。
地上は段差や階段、社会的な障壁、誤解など、さまざまなバリアがある。ただ空は違うという。障害者も健常者も空を飛んでいる間は違いはない。加藤代表は言う。「空は、究極のバリアフリーだ」。
写真提供 ソアリングシステムパラグライダースクール
旅行新聞 記者 平錦
旬刊 旅行新聞社 特集No.524 ひとりのハートが世界を変えられる